赤ちゃんが欲しい!漢方薬で 体質改善

漢方で体質改善 私が、赤ちゃんを授かるまで!!

基礎体温表を計りながら最初の2〜3ヶ月は、排卵誘発剤とタイミング療法でした。すぐにできると思っていたのにできません・・義母や義父からの期待やプレッシャーも(できれば跡継ぎで!)きつかったです。精神的に1番しんどかったのは、流産してから・・の2年間です。
子どもを授かった今は、時効ですが、実家の母は、「子どもがいない女は、1人前になれない!子どもを産んでいないのは、女として半人前」と平気で言っていたし実の親なのにひどいこと言うな!と思っていましたが、子どもが出来ないことを嫁ぎ先の両親に申し訳なく思っていたのでしょう。

 

不妊治療中、周りの言葉に神経質になりピリピリ 敏感になっていました。

 

結婚してからも仕事を続けていたこともあり周りからは、「子ども、作らないの?」「子どもがいると楽しいよ幸せだよ」「夫婦2人だと気楽だよね」「今は、仕事が楽しいんでしょう?」「ペットを飼ってると赤ちゃんが出来にくくなるみたいよ」「〇〇は、きっと良いお母さんになると思うよ」「女は、タイムリミットがあるからね」と助言されたこともあります。作らないんじゃなくて出来ないのに・・いつも深く傷ついていました。

 

私と夫が、不妊治療を本格的にはじめた頃義弟の交際相手に赤ちゃんができたと知らされました。看護学校を卒業しお礼奉公をスタートさせた年でバリバリ働かなければいけなかっただけに、陽性反応は、手放しで喜べるものでは、無かったと推測します。私自身ひがみや妬みの気持ちでかなり神経質になりピリピリきていました。


妊娠できない子どもが出来ないと一人前じゃない?

妊娠を望んでなかった義理の弟は、赤ちゃんを授かりうちは、長期間のベビ待ち・・。結局義弟は、妊娠と結婚が前後したものの入籍・・花嫁衣裳を着て写真館で撮った写真を送ってきました。そして無事に男の子が誕生してから義母義父は目の中に入れんばかりのジジ馬鹿ババ馬鹿を炸裂させました。義弟夫婦は、赤ちゃんを連れて週末のたびに孫の顔を見せに家にやってきました。義母も義父も「外孫は、じきに帰ってしまうから早く内孫の顔が見たい」というようになりました。

 

結婚するまでは、結婚しないと1人前になれないといわれ結婚してからは、子どもができないと1人前になれないといわれうまれて子の性別にまで口を出される始末。悪いことに?義弟夫婦の2人目妊娠が発覚。このときも相当落ちこみました。第1子が、男の子だから第2子は、女の子をという願いが通じたのか、義弟のとこには、待望の女児が誕生しました。うちには、ベビが来ないのに「男の子も女の子もいてズルイ」と思っていました。


不妊治療は、出口の見えないトンネル!

不妊は、出口の見えないトンネルの中にいるようで藁をもすがる思いで日々過ごしていました。ストレッチやヨガで赤ちゃんができやすいという情報を見つけて試したり子宝レシピ、子宝風水も実践し夫とのセックスも「子どもを作るための義務」になっていました。

 

治療費がかかっても赤ちゃんが欲しい!!藁をもすがる思い

病院が、遠方だったこともあり治療費や検査の費用のほか、往復の交通費など見えないお金がたくさんかかりました。治療費が、どれだけかかっても赤ちゃんが、欲しいと思っていました・・・。お金と時間をかけた分絶対授からないと!という悲壮な思いにかられていました。その頃卵管造影をした結果片方が、ふさがっていて子どもが出来にくいことも分かり人工中絶の影響を受けていることが多いといわれました。ただ片方は、ふさがっていなかったので確率も半分とあきらめるしかありませんでした。私の場合子宮内膜症の影響があったのかもしれません。

 

生理が来るたび「また今月もダメだった」と肩を落とし妊娠できないことが大きなストレスになっていました。自然妊娠がダメなら、人工授精・体外受精・顕微授精で・・と思っていたとき妊娠が分かりました。世の中の不妊で苦しんでいる女性から比べたら私は、排卵誘発や注射漢方などで赤ちゃんを授かったのでラッキーでした。

 

35歳過ぎてから科学流産や流産を経験していたので漢方や葉酸で体質改善も意識しました。漢方薬は、長期的に服用しないとききめが、あらわれないと思っている方も多いのですが、処方してもらった漢方薬との相性がよく生理が順調になってきました。


page top